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- 2016.08.15 Monday
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NHKが小保方氏の論文ねつ造をねつ造するような検証番組を放送したというのは非常にショックな話だ。これは、国の放送局が、シオニスト系銀行家達に裏で圧力を受けている証拠ではないかと思う。その理由は、シオニスト系エリート達が、癌利権を握る製薬会社、がん保険会社を経営し、莫大な利益を得ている人達であり、そして、小保方さんのSTAP細胞が本当であることが証明されれば、それが彼らの将来の癌利権ビジネスを崩壊させてしまうからである。
この記事の内容を良く読んで分析し、何が問題なのか理解する必要があると思う。
以下、記事の要点をまとめました。
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[7月27日に放送されたテレビ番組、NHKスペシャル『調査報告 STAP細胞 不正の深層』の内容]
- 当番組は小保方さんの論文がねつ造であることをねつ造する内容である。
- そのねつ造のやりたかは、一部違法なやり方をも用いている。
- 小保方氏が若山照彦山梨大学教授の研究室にあったES細胞を盗み、それを混入させた細胞を実験に使っていたかのような内容
- 当番組の最後にいつも表示される番組制作に関わった人物名が一切表示されなかった。つまり、公共放送で匿名による小保方氏個人に対する違法なバッシングを同番組はしたのである。
- 番組タイトルで使用されている「不正」という文字の意味に論拠がない。
- NHKが独自に入手したという小保方氏の実験ノートのコピーが、番組の中で放映されているが、これは明らかな秘密保持に対する法令違反である。理研の職員は準公務員であり罰則規定のある法律を順守しなくてはならない。その法律とは、独立行政法人理化学研究所法の第十四条、第二十三条だ・・・
◯第十四条 研究所の役員及び職員は、職務上知ることのできた秘密を漏らし、又は盗用してはならない。その職を退いた後も、同様とする。
◯第二十三条 第十四条の規定に違反して秘密を漏らし、又は盗用した者は、一年以下の懲役又は三十万円以下の罰金に処する。- 笹井氏と小保方氏が交わしたという私的なメールの文面まで公開したが、私信の公開は法令違反である。調査資料として秘匿すべき責務を負っている調査委員会からリークされた可能性がある。
- 番組では、小保方氏の研究室の冷凍庫から容器が見つかった、と写真付きで解説している。この写真も内部からのリークである。若山氏のもとにいた留学生の“証言”の真偽(留学生はES細胞を若山氏の研究室で作製し若山研究室に持っていった。その写真に関する証言)を確認するため、NHKは、ホテルで小保方氏をトイレまで追い詰めるという取材を行い、全治2週間の怪我を小保方氏に負わせた。
- 7月22日の時点で、解析結果が間違っており、STAP幹細胞が若山研究所のマウスに由来する可能性、つまり、小保方氏がES細胞を混入したことを“否定”する可能性を示していたのにもかかわらず、同番組は「ES細胞混入説」で強引に押し通した。これについて、同番組で、小保方氏が「あるはずのないES細胞」を冷蔵庫に保管していたというでっち上げの放送までしている。
- 笹井氏は、生前に、再三「STAP現象は存在する。STAP現象を前提にしないと容易に説明できないデータがある」と語っていたのに、同番組は、笹井氏は「嘘をついている」という前提で番組を作っている。
●異様な番組内容
また、番組タイトルで「不正」という文言が使用されていたが、一般社会で使用される「不正」には、自らの利益を優先した悪意ある行為、という意合いがある。しかし、サイエンスの世界での「不正」とは、作法に間違いがあった、手続きにミスがあった、という意味でも使用される。
科学論文の世界では「不正」すなわち「ミス」が見つかることは少なくなく、「不正」の指摘があれば「正し」、さらに検証を受ける、という“手続き”の連続である。それが科学における検証のあるべき姿だ。その結果、再現性がなければ消えていく。科学は、そのような仮説と検証のせめぎ合いで発展してきた。
むろん、今回のSTAP論文に画像の「不正」があったことは小保方氏も笹井氏も認めており、科学の手続きに則りネイチャーの論文も取り下げた。しかも「不正」と認定されたのは「画像の加工」であり、捏造を行ったという事実はどこにもない。現在、理研では論文を再検証するために再現実験が行われており、ルールに則ったプロセスにある。これまでも多くの学者の「不正」が指摘されているが、マスコミで大きく取り上げられることなく、ほとんど知られることもなかった。
しかし同番組では、一般的な「不正」の意味、つまり「自らの利益を優先した悪意ある行為」という意味を含めており、番組構成も科学的検証とは程遠い、事件の犯人を追うような構成となっていた。これまで質の高い科学番組を制作していたNHKスペシャルとは思えないずさんな内容であった。その結果、小保方氏の「ES細胞窃盗および捏造説」を視聴者に印象づけた事実は大きい。
番組の冒頭部分で、このような場面があった。理化学研究所の発生・再生科学総合研究センターの見取り図がCGで現れ、小保方氏が実験していた場所へと画面が展開していく。その時のナレーションを、そのまま以下に掲載する。
「2人が共同で研究を進めたのは、C棟4階にあった若山研究室。
小保方氏がいつもいたのは、壁で仕切られた小部屋。
奥まった場所だった。
ここで、一人、作業をしていたという。
どんな実験をしていたのか…」
低音で静かな女性のナレーション、建物の奥の小部屋へとCG展開される構成は、さながら事件発生現場の再現を彷彿とさせた。
心理学のテクニックには、相手に意図したイメージを想起させる方法がある。この場面では、多くの視聴者の頭に、「小保方氏は、完全に死角になる場所で、誰にも知られることのない何かをしていた」というイメージを想起させたはずだ。小保方氏の研究場所を示すことに、何の意味があるのだろうか。
この段階で同番組は、すでに科学的検証番組ではないことがおわかりだろう。なんらかの意図を持って、この番組は構成されていたとみてよい。
JAL123便は、最後に米軍機によって核ミサイルにより撃墜されて墜落した。
それは中性子爆弾の空対空ミサイルだった可能性がある。
このミサイルは、被弾航空機の残留放射能を最少にして核使用の証拠隠滅ができるように設計されているようです。
空中でキノコ雲が発して、黒い真っ黒な雲が出たのを目撃した人がいる。
報道されている内部隔壁の損傷というのは嘘の報道だということもわかっている。実際には、尾翼に無人標的機が突き刺さった状態で横田基地に向かって着陸体制に入っていた。ところが、着陸寸前に横田基地から着陸を拒否されていた。その指令が誰から来ていたかというのが問題です。それは中◯◯総理から来ている可能性があると、このビデオでは解説されている。そして、飛行機は御巣鷹山の方にまでずっと追い込まれていった。
アメリカがこの飛行機撃墜をした理由は、1985年はアメリカが日本にプラザー合意を強引にさせた年であり、それを境目にして、日本は世界最高の債権国から債務国になっていった。アメリカは、このJALジャンボジェット機の撃墜は、日本にアメリカの言うことを聞かなければ武力でやるぞという脅しであったと、ビデオの解説者は話す。
そして、飛行機が落ちた翌月の9月の下旬に日本はアメリカのプラザ合意の文書にハンコを押した。
この解説者が話している今でも、御巣鷹山には沢山の遺族の遺品があちこちに散らばっているが、地面には中性子爆弾でしか残らないような跡が焼き付いている。それにより、これが中性子爆弾による飛行機撃墜であった事を証明する証拠の一つとなる。
★ 【日航機墜落】JAL123便:飛行機事故の真相【プラザ合意】
30年前に日本でおきた、世界最大の飛行機事故が、日航機の墜落だ。
その「御巣鷹山の真相」を追っていた、ワールド・フォーラム代表の佐宗邦皇氏が、2009年8月8日の月例会で、講演している最中に突然倒れて、翌日、8月9日に亡くなった。
死因は脳出血ということになっているが、実は、講演会で出された500mlのペットボトル、「おーい!お茶」を一口飲んでから、そのわずか30秒〜1分後に、突然倒れたのだ。
すかさず、そのペットボトルを回収すべく駆け寄った何者かの間で、緊迫した状況もあったようだ。
こちらが実際に倒れた講演会の動画である(倒れる場面は公開されていない)。
司会:それでは、Mさんよろしくお願いします。Mさんは事故当夜、現場に向かわれたそうですが、まず、そのいきさつを教えてください。
M氏:私の実家は、事故現場から見て西側、長野県の方にあります。当時は大学を卒業して社会人になったばかりで、事故当日はお盆ということもあり、たまたま実家に帰省していました。
事故の速報を知ったのが、12日夕方の7時過ぎ頃だったと思います。その時は墜落現場は(長野県の)北相木村付近という報道でした。
そこで、北相木村やもっと南に位置する川上村に住む知り合いに電話を掛けて様子を尋ねたところ、どちらも墜落は確認できてないとのことなので、残るは南相木村の山間部しかないと思い、そちらに向かいました。
たまたま高校時代の友人2名と一緒だったので、事故現場に行ってみようということになりました。まだ、若かったですから、その時はただ、何としても現場に1番乗りしてやるぞ、インタビューされてテレビに映ってやるぞ、ぐらいの本当に軽い気持ちしかありませんでした。
オフロードバイクにまたがり、友人2人(それぞれオフロードとオンロードバイクを使用)と共に南相木村に向けて出発し、おそらく21時頃までには南相木村からの林道に入っていたと思います。
ただし、オンロードバイクの友人は途中でこの行程から抜け、林道から先を進んだのは、オフロードにのったボクたち2人だけです。
司会:その時刻はまだ墜落地点は判明してませんでしたよね(公式発表は翌朝5時以降)。そこからどこに進めばよいか、どう判断したのですか?
M氏:そんなの訳ないですよ。上空で戦闘機が、それもおそらく2機がぐるぐる旋回している音がしてましたから、墜落現場はその(旋回)音の中心付近だなとすぐに分かりました。
そこで、バイクで可能な限り近くの林道を進んで、そこから先は徒歩で山に入ることにしました。
司会:ええっ? じゃあ、もうその時点で墜落地点はわかっていたと・・・
M氏:はい。当然、警察も分かっていたはずですよ。だってボクたちが南相木村へ向かってるその後ろから、警察の白バイもついてきましたから。
でも、普通のバイクなので切返しの多い山道に難渋していて、オフロードに乗ったボクたちは簡単に振り切っちゃいましたけど(笑)。
林道の終点から山に入ってからは、途中、山の頂きへ登る度に、ヘリの音がする方向を探して、墜落地点を確認しました。
ヘリは同じところを一晩中飛んでいたので、墜落地点は当然分かっているものと思いました。
司会:すると、林道から先は、徒歩で夜の山に分け入ったのですか。危険だと思わなかったのですか?
M氏:あの辺の山の持ち主(の息子)とか知ってますし、一緒に山に入って遊んでましたから、どんなところかは大体わかっていました。
松の木と岩が多い所なんですよ。もちろん、急峻で険しい所だとも知ってますから、この先へ進むのは中々たいへんだなと思いましたよ。
とにかく、墜落現場に向かってまっすぐ進むことしか考えていませんから、きつい傾斜や時にはオーバーハングを超えて、山道なんか関係なく、強引にいくつも尾根を跨いで行きました。
ですから、直線距離でわずか7〜8キロの行程なのに、山に入ってから現場に着くまで6〜7時間くらいかかりました。
着いたのは、午前4時前後だったはずです。
司会:午前4時という時刻はどうやって確認したのですか?
M氏:当時は、時計を身に付ける習慣はなかったのですか、着いた時に山の尾根付近が白み始めていたので、おそらくそれぐらいの時間だと思いました。
(注釈:夏の山頂付近は明るくなるのが早い)
司会:そこで何を見ましたか?
M氏:既に自衛隊員が70〜80人、いや100人位は来ていました。それを見て、自分たちは一番乗りできなかったと思いましたね。
同時に、事故犠牲者の呻き声が谷にこだまし、響き渡っているのがはっきりと聴こえました。
司会:ええっ?その時に生きて声を出している人が居たのですか!!どれくらいの人が生きていたのでしょう?
M氏:全部を数えた訳ではありませんが、声の響き方からすると少なくても4〜50人は居たと思います。実際に、苦しそうに声をあげている人を私も間近で何人か見ています。
自衛隊の人たちがいる以上、自分たちができることは、負傷者のいる場所を教え、早く救助してもらうことだと思い、呻き声のするあたりを探しては、その場所を隊員さんに伝え、早い手当を頼んでいました。
ただ、隊員さんの対応には不信感を覚えましたね。「へたに動かすと危険なので、後から来る部隊が手当することになっている」と言うだけで、何もしようとしない。
手にした4〜50cm 位の丸いバッグに、地面から拾った物を黙々と入れ続けている。
司会:自衛隊員は何を拾っていたのでしょう?
M氏:まだ暗くてよく見えなかったので、それが何かまではわかりませんでした。ボイスレコーダーとか、何か貴重な物なんだろうと思っていました。
私が覚えている隊員さんの装備は、バッグの他に、片手に抜き身の大型アーミーナイフ、目には暗視ゴーグル、また、靴はつま先の短い短靴を履いており、傾斜のきついこの山のことをよく調べて入っているなと思いました。
ちょっとひどいなと思ったのは、斜面を登り、尾根の反対側に出たら、向こうの谷ではヘリコプターがホバリングしているじゃないですか、ヘリが来ているならさっさと救助しろよと思いましたね。
しかも、ヘリの下では、さっき隊員さんたちが何かを入れていたバックを10数個まとめ、ネットに入れて吊り上げていました。何度も吊り上げていたので、全部で70個くらいのバッグが回収されたと思います。
司会:現場にはどれくらい滞在したのですか?
M氏:到着してから1時間後くらいに、自衛隊の次の部隊が続々と到着してきました。
また、暗視スコープを装着していた最初の部隊も引き上げる体制に移っていたので、もうこれで大丈夫と思い、この時に下山を始めました。
なお、次の部隊は、山で歩きにくいブーツ姿だったので、これでちゃんと歩けるのかな? と思いました。
セミナー参加者からの質問
Q1:40〜50人居たという、呻き声の人たちはどうなってしまったのでしょう?
M氏:それはボクもずっと不思議に思っていたのですが、下山を開始する朝の5時過ぎ頃には、谷の呻き声がピタリと止んでいました。
Q2:この事故の生存者は4人の女性でしたが、その他にも助かりそうな人はいませんでしたか?
M氏:ボクが見た負傷者の中に、指先が1本ちぎれただけの男の人がいました。「この程度なら死ぬことはないな」と思い、救助活動(隊員への声かけ)を後回しにしたのをはっきりと覚えています。あの人がどうなったのか、ボクにも分かりません。
Q3:事故調査委員会が、当夜、墜落場所発見が困難だったと報告しています。しかし、Mさんは夜を徹して現場に到達している。この報告をどう思いますか。
M氏:日頃から遭難者の多い現地周辺にはCB無線による救助網が敷かれています。
無線機を持った人員を担当箇所に登らせて無線を交わせば、夜間に炎上しているような目立つものなら訳なく見つけ出せるはず。どうしてこんなに時間がかかったのか分かりません。
(注釈:というか、本当はとっくに見つけ出していますが・・)
Q4:大型アーミーナイフは何に使われていたのでしょう?
M氏:それは見ていないので分かりません。
Q5:現場で身の危険を感じたり、二人を排除するような動きはありませんでしたか?
M氏:そういうことは特に感じませんでした。
Q6:機体が激しく衝突し炎上した墜落現場に木立が残っているのは不自然だとよく指摘されるのですが、実際に見てどうでしたか?
M氏:言われてみたら、確かに変ですよね。
林立している木の間に機体の破片や、遺体(の一部が)飛散していましたから。それに、あの辺りは針葉樹が多い山ですから、機体から火が出たらあっという間に周囲に燃え広がるはず。
それにしちゃ、あまり燃えてなかったなぁ、変だなぁ。
Q7:事故調査委員会が、生存者4人の発見を奇跡的だと報告しています。しかし、Mさんは生きてきる何十人もの声を聞いている。この報告について改めて感想を聞かせてください。
M氏:報告は嘘だと思います。明らかにもっと多くの方の命を救うことができたはずです。
Q8:その他、現場で見て、何か変だと思ったことを教えてください。
M氏:山で遭難して遺体になると、狐や狸など、山の動物にひどく食い荒らされるのですが、現場で見た遺体には、奴らが手をつけた痕跡がまるでない、それは山を知る者としてはたいへん不思議な事です。
司会:ありがとうございました。